錯誤(95条)と第三者保護の非対称性
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第1章 民法総則 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
この回の設例

- A……「有名画家Xの真筆です」と言われ、絵を500万円で買った買主。あとで複製だと分かった。
- B……その絵をAに売った売主。
- C……Aが取り消す前に、Bからその絵を買い受けた第三者。
もう1つ、ネット通販で数量を「1」のつもりで「10」と入力して注文してしまった例も、途中で使います。どちらも、勘違いで結んでしまった契約です。前回までは、ウソをついた人や、ウソを信じた相手を守る話でした。この回で扱うのは、勘違いした本人を守る話——民法95条、錯誤という制度です。
前回の想起と視点の転換、そして改正の核

まず前回の復習です。心裡留保と通謀虚偽表示は、どちらも「意思の不存在」という仲間でしたが、原則有効・原則無効と向きが逆でした。そして94条2項は、外観を信じた善意の第三者を、無過失は問わずに守っていました。
前回まではずっと、外観を信じた側を守る話でした。ここから視点が変わります。守る対象が、外観を信じた相手方ではなく、勘違いした本人——表意者自身になります。
錯誤も意思の不存在の仲間ですが、これまでの2つと決定的に違う点があります。心裡留保も通謀虚偽表示も、本人は自分の意思表示が本心とズレていることに気づいています。これに対して錯誤は、本人が自分のズレに気づいていません。だまそうとしたのではなく、単純に勘違いしているだけです。だから、守り方も変わってきます。

もう1つ、大きな注意点があります。民法は2017年に改正され、2020年4月に施行されました。錯誤は、この改正でいちばん大きく変わった制度の1つです。改正前は「錯誤による意思表示は無効」でした。他の教材で”錯誤無効”という言葉を見かけても、それは古い条文の話です。現行の95条は「取り消すことができる」——無効ではありません。
無効と取消しは大きく違います。無効は、誰でも、いつでも主張できてしまい、取引がとても不安定になります。取消しなら、取り消せる人と取り消せる期間が限定されます。勘違いした本人は救うけれど、いつまでも宙ぶらりんにはしない、という設計です。
この回の流れは6つ。①錯誤の2つの型 ②効果としての取消し ③共通の関門「重要」 ④片方だけに乗る「表示」の要件 ⑤重過失の壁 ⑥第三者保護——⑥が前回までとのいちばんの対比ポイントです。
錯誤とは何か——意思表示がずれる4つの場所

錯誤を理解するために、意思表示ができるまでの流れを、4段階に分けて見ます。まず心の中に「なぜそうしたいか」という動機があります。次に「こうしたい」という効果意思ができます。絵の例なら、Aが「これは有名画家Xの真筆だ」と思い込んだのが動機、「欲しい、買いたい」が効果意思です。そこから「買います」と表示しようという表示意思、そして実際に「買います」と口に出す、または契約書に書く表示行為、と続きます。
この4段階のどこでズレが起きるかで、錯誤は2つの型に分かれます。
絵の例でズレているのは、いちばん最初、動機のところです。「真筆だ」という思い込みが、事実と違っていました。効果意思・表示意思・表示行為は、実はズレていません。「買いたい」と思って「買います」と言った、そのとおりに動いています。ズレていたのは、その前提となった事実の方です。
数量の入力ミスは、これとは違います。注文者は「1個買おう」という効果意思を持っていたのに、入力したのは「10」でした。効果意思と、実際にした表示行為がズレています。動機の部分には、何も問題がありません。
同じ勘違いでも、ズレる場所が違う——まさにそこが、95条が2つの類型を用意している理由です。
錯誤の2類型——意思不存在の錯誤と基礎事情の錯誤

では、条文を見てみましょう。95条1項です。
条文民法95条1項
民法 第95条(錯誤) 1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。 一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤 二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
1号と2号が、いまの2つの類型です。1号は、数量ミスのような、効果意思と表示行為がズレる型。条文の言葉では「意思表示に対応する意思を欠く錯誤」です。言い間違い、書き間違いが典型で、実務では意思不存在の錯誤と呼びます。
2号は、絵の例のような型。「法律行為の基礎とした事情についての認識が真実に反する錯誤」——前提とした事情が、実は違っていた型です。実務では基礎事情の錯誤と呼びます。
この2号は、かつて「動機の錯誤」と呼ばれていたものです。ここは押さえておいてください。改正前は、動機の錯誤は原則として主張できず、例外的に表示されたときだけ認められる、という判例のルールでした。改正で条文の書き方が変わり、「動機」という言葉自体を条文からなくして、「基礎事情の錯誤」という独立した類型として2号に明文化されました。つまり、「動機の錯誤は主張できない」と覚えていたら、もう古い理解です。「原則ダメ、例外だけOK」ではなく、「基礎事情の錯誤は、ある条件を満たせばOK」という発想に変わりました。その条件は、この後2つ出てきます。
なお、1号・2号は、覚える”規範”ではありません。判例が新しく作った物差しではなく、1項を読めば出てくる成立要件です。だから逐語で丸暗記する必要はなく、どちらに当たるかを条文操作で判定できれば十分です。
1号の例は、ほかにもあります。たとえば書類の記載を見誤ってサインしてしまった場合のように、表示そのものを間違えた型が、意思不存在の錯誤の典型です。

効果は取消し——救うが放置しない設計

「無効と取消しは違う」という話を、もう少し詳しく見ます。
まず、誰が取り消せるか。120条2項で、取消権者は表意者本人、その代理人、その承継人に限られます。絵を売ったBは取り消せません。勘違いしたのはAの方なので、取消権はA側だけに与えられます。無効なら誰でも主張できたので、そこが大きな違いです。
次に、取り消すとどうなるか。121条で、取り消された行為は、初めから無効であったとみなされます。取り消すまでは一応有効で、取り消して初めて、遡って無効になります。無効の場合は最初から無効ですが、取消しは、取り消すという行動があって初めて効果が生まれます。
そして、いつまで取り消せるか。126条で期間が区切られており、追認できるようになった時から5年、行為の時から20年です。無効は永遠に主張できて取引が不安定になりますが、取消しは期間が来れば主張できなくなり、法律関係が安定します。勘違いした人を救いつつ、いつまでも取引を不安定にしない——救うけれど、放置はしない、というバランスです。
共通の関門「重要」——2段階テスト

1号でも2号でも、どんな勘違いでも取り消せるわけではありません。そこにも関門があります。もう一度1項を見てください。「重要なものであるとき」という条件がついていました。
判例は、これを2つの段階に分けてチェックします。1つ目は主観的因果性——その錯誤がなければ、表意者は意思表示をしなかったであろうこと(本人基準)。2つ目は客観的重要性——一般の人が同じ立場でも、意思表示をしなかったであろうこと(一般人基準)。この2つが両方そろって、初めて「重要」と言えます。
絵の例なら、Aは「真筆でないと分かっていたら500万円は出さなかった」——これで主観的因果性はクリアです。一般人でも、複製と分かっていたら500万円は出さないでしょうから、客観的重要性もクリア。両方そろうので、この錯誤は「重要」と言えます。
逆に、重要とは言えない場合もあります。たとえば、絵を運んできた配送業者の名前を勘違いしていた、というような場合です。本人も、その勘違いがなくても契約はしたでしょうし、一般人にとってもどうでもいい事情です。重要とは言えず、この錯誤では取り消せません。
なぜ、そこまで求めるのか。些細な勘違いまで取り消せてしまうと、それを信じた相手方がたまりません。無視できない重い勘違いに絞ることで、本人の救済と取引の安全のバランスを取っているのです。
この2段階テストは、条文の言葉を読んだだけでは出てきません。判例が積み重ねて作った物差しです。1号・2号の成立要件とは扱いが違い、ここは規範にあたるので、「主観的因果性」「客観的重要性」という言葉を、逐語で覚えておいてください。
判例大判大正7年10月3日(「重要」性の2段階テスト)
その錯誤について、主観的因果性(その錯誤がなければ表意者は意思表示をしなかったであろうこと)と、客観的重要性(一般人であっても同様に意思表示をしなかったであろうこと)の両方が認められて初めて、95条1項柱書の「重要なもの」といえる。
2号だけの上乗せ要件「表示」

絵の例は、これでもう取り消せるでしょうか。まだです。2号——基礎事情の錯誤には、もう1つ、上乗せの要件があります。2項を見てみましょう。
条文民法95条2項
民法 第95条(錯誤) 2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
「前項第二号」とあるとおり、この表示の要件は、2号——基礎事情の錯誤にだけかかります。1号の意思不存在の錯誤には、この要件はかかりません。数量ミスの例には無関係です。混同しやすいので、「表示は2号だけ」と覚えてください。
なぜ2号にだけ、この要件を上乗せするのか。動機、つまり基礎とした事情は、本人の心の中にとどまるものです。相手からは見えない内心の事情まで、無条件に取消しの理由にしてしまうと、取引の安全を大きく害します。だから、ちゃんと伝えていたときだけ認める、という仕組みです。
絵の例だと、Aが交渉の中で「これがX画伯の真筆だから欲しいんです」とBに伝えていれば、表示ありです。心の中で思っていただけで、何も言わなかったなら、表示なし——基礎事情の錯誤としては、取り消せません。
もっとも、はっきり言葉にしなければダメというわけではありません。黙示の表示でも構いません。状況から明らかに伝わっていれば足ります。「この絵、X画伯のものだから」と前提にして値段交渉をしていれば、明示的に言わなくても、その事情は黙示に表示されていたと言えます。
なお、表示をどこまで厳しく見るかについては学説の対立があり、近年の判例は、単に伝えただけでなく、その事情が契約の内容そのものになっていることまで求める傾向にあります。

この精密なあてはめと答案の書き方は、論文動画で扱います。ここでは、表示という関門があること、それが2号だけにかかること、を押さえてください。
重過失の壁とその例外

これでAは取り消せるか。まだ確認することがあります。もしAに重大な落ち度があったら、どうなるでしょう。たとえば、専門家の鑑定も受けず、サインの違和感などにも気づかず、全く確認もせず衝動的に買っていたら——さすがに自業自得な気もします。そう考えるのが3項です。
条文民法95条3項
民法 第95条(錯誤) 3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。 一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。 二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
重過失があれば、原則として取消しはできません。ただし、書き出しに「次に掲げる場合を除き」とあるとおり、例外が2つ用意されています。

例外1号は、相手方が、表意者の錯誤を知っていた、または重過失で気づかなかった場合です。Bも実は複製だと知っていたのに黙って売っていた、というような場合。このときは、Aに重過失があっても、取消しができます。Bが知っていながら黙っていたなら、Bに保護すべき信頼なんて、そもそも無いからです。
例外2号は、相手方も、表意者と同一の錯誤に陥っていた場合——共通錯誤です。B自身も本物だと信じ込んで売っていた場合で、このときも、Aに重過失があっても取消しができます。Bも同じ勘違いをしていたなら、Bを保護する理由がないからです。
2つの例外は、どちらも、相手方の側に保護すべき信頼がない場面、という1本の理屈でつながっています。
では、重過失があったことは、誰が証明するのか。判例は、相手方が証明する責任を負うとしています。取消しを防ぎたい側が、「あなたには重大な落ち度があった」と立証する必要があります。
判例大判大正7年12月3日(重過失の証明責任)
95条3項の重大な過失の存在は、取消しを争う相手方が証明する責任を負う。
これも規範です。条文には証明責任の所在まで書かれていないので、判例の解釈になります。
なお、特別な法律で別の扱いになることもあります。たとえば電子消費者契約法には、インターネット通販での操作ミスについて、重過失の壁を緩める特則があります。詳しくは消費者法の分野で扱う話です。
第三者保護——善意無過失という非対称

ここからが、この回いちばんの山場です。もし、Aが取り消す前に、Bがその絵を、事情を知らないCに転売していたら、どうなるでしょう。

AはBとの契約を取り消せます。でも、その効果をCにも主張できるかは、別問題です。条文を見てみましょう。
条文民法95条4項
民法 第95条(錯誤) 4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
「善意でかつ過失がない」——無過失まで要る、ということです。Cが、AB間の錯誤を知らず、かつ、知らなかったことに過失もなければ、Aは取消しをCに対抗できません。Cが絵を守れる、ということです。逆に、Cが知っていた、またはちょっと調べれば分かったのに調べなかった場合は、保護されません。
これは、前回までとよく似た話です。94条2項も、善意の第三者を守る規定でした。並べて比べてみましょう。

93条2項は心裡留保、94条2項は通謀虚偽表示です。どちらも「善意の第三者」としか書いていません。
条文民法93条2項・94条2項(95条4項と文言を比べる)
93条2項「前項ただし書の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。」 94条2項「前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。」
95条4項は「善意でかつ過失がない」でしたから、文言が違います。無過失まで要求しているのは95条4項だけです。
なぜでしょうか。心裡留保と通謀虚偽表示は、本人が自分の意思で、わざとウソの外観を作り出しています。錯誤はそうではありません。本人はただうっかり勘違いしただけで、わざとウソをついたわけではない。わざと外観を作った人と、うっかり勘違いしただけの人とでは、責任の重さがまるで違います。
だから、落ち度が大きい人の方が、第三者を守る要件は緩くなります。心裡留保・通謀虚偽表示は、本人の落ち度が大きいので、第三者は善意でさえあれば守られる。錯誤は、本人の落ち度が小さいので、第三者の側にも無過失までしっかり求めて、バランスを取っている。表意者の帰責性が小さいほど、第三者の保護要件が重くなる、という1本の物差しで説明できます。逆に言えば、表意者本人は、錯誤の方が保護されやすいということです。ここが、前回までとこの回の、いちばん大きな対比です。
「第三者」の意味は、前回と同じ定義です。当事者やその包括承継人以外で、新たな独立の法律上の利害関係を持った人、でしたね。
もう1つ。95条4項は、取消し前に登場した第三者の話です。取消しの後に出てきたCは別ルールで、詐欺取消し後の第三者と同じ、177条の対抗関係の枠組みで処理されます。これは詐欺・強迫の回で扱います。
適用範囲の限界①——身分行為には原則及ばない

95条は、どんな契約にも使えるわけではありません。原則は、財産法上の意思表示が対象です。婚姻や離婚のような身分行為には、原則として及びません。身分行為は、本人の意思そのものを尊重すべき領域だからです。錯誤の有無で覆せるようにすると、本人の意思決定の重みが揺らいでしまいます。
例外はあります。財産分与や相続放棄のように、財産法的な性格を強く帯びる身分行為には、適用の余地があるとされています。判例には、相続放棄の際に、財産の状況について重大な勘違いがあった事案で、錯誤の適用が問題とされたものがあります。

押さえておくべきは、「身分行為には原則不適用、ただし財産的性格が強いものには適用の余地あり」という、原則と例外の構造です。
適用範囲の限界②——和解との関係

もう1つの限界が、和解契約との関係です。和解は、当事者が譲り合って争いをやめる契約でした(695条)。和解で確定させた事項について、あとから「実は勘違いだった」と錯誤を主張して覆すことは、原則できません。696条の確定効です。
ただし、争いの対象そのものではなく、その前提となっていた事情に錯誤があった場合は、また別の議論になります。和解の細かい要件は債権各論の分野なので、詳しくはそちらの回——和解と錯誤の回に送ります。ここでは「和解には確定効があって、簡単には覆せない」という結論だけ、押さえてください。
ここは論文で論点になる

ここで扱った基礎事情の錯誤——95条1項2号と2項は、答案で正面から問われる論点です。事案があって、問題提起をして、規範を立てて、あてはめる、という答案の型で書かれます。
ただ、この解説動画では、答案の規範定式や答案構成そのものには踏み込みません。書き方の詳細は、概要欄からリンクする論文シリーズで扱います。ここでは「そういう論点がある」と押さえるだけで十分です。
今日の地図(保存版)

錯誤は、改正で効果が無効から取消しに変わりました。取消権者は表意者側に限られ、期間の制限もあります。型は、1号の意思不存在の錯誤と、2号の基礎事情の錯誤。どちらも、主観的因果性と客観的重要性の2段階で「重要」と言えることが、共通の関門でした。2号だけ、その事情が表示されていたことも必要です。そして、表意者に重大な過失があると、原則として取り消せない。例外は、相手方の悪意・重過失か、共通錯誤のときでした。

最後に、この回いちばんの山場です。95条4項の第三者保護は、善意に加えて無過失まで必要でした。93条2項・94条2項の善意のみとは違います。表意者の落ち度が小さいほど、第三者の保護要件が重くなる、という1本の物差しです。身分行為には原則及ばないこと、和解には確定効があることも、押さえておいてください。
自己テスト
95条4項は、なぜ善意だけでなく無過失まで求めるのでしょうか?
答えを見る前に、声には出さず、自分の力で思い出してみてください。
答え合わせ
93条2項・94条2項は、表意者本人がわざと嘘の外観を作った場面でした。表意者の落ち度が大きいから、第三者は善意だけで保護されます。一方、95条は表意者自身のうっかり勘違いです。落ち度が小さい分、第三者には無過失まで求めて、バランスを取っているのです。
参照条文
- 民法95条1項
- 民法95条2項
- 民法95条3項
- 民法95条4項
- 民法93条2項・94条2項(95条4項と文言を比べる)