刑法とは何か
199条は「殺すな」ではなく「〜した者は/〜に処する」の対応表として書かれている。その形から実質的意義の刑法を定義し、特別刑法・実体法/手続法・自然犯/法定犯を通して、最後に法益保護と自由保障の綱引き(以降の全論点の読み筋)まで運ぶ初回。
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第1章 刑法の基本原理 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
この回で渡す道具は3つ。実質/形式、自然犯/法定犯、そして法益保護↔自由保障の綱引きである。3つ目が本命で、以降の総論・各論で出てくる解釈の対立は、ほぼ全部この綱引きの具体例になる。
199条は「殺すな」と書いていない
◇ 詰まる所 — 刑法を「〜するな」という禁止のリストだと思って199条を開くと、禁止文がどこにもなくて戸惑う。
条文刑法199条(殺人)
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。
図:条文は「行為」と「刑罰」の2部構成になっている
◆ 条文の形=2部構成
- 前半「人を殺した者は」=どんな行為が犯罪か
- 後半「〜に処する」=その行為にどんな刑罰が科されるか
- この2つで1セット。刑法の条文はこの形をしている
▸ なぜこの形なのか — 「殺すな」という命令だけでは、破ったときにどうなるかが分からない。行為と結果を1つの対応表にして初めて、何をすれば・どうなるかが誰にでも読める。予測できる形で書くこと自体が、刑法の設計思想である。
→ 拘禁刑そのものの中身は #11-1 刑罰の種類(準備中)
実質的意義の刑法

◆ 定義 — 次の2つを定めた法規を実質的意義の刑法という。
- 何が犯罪か
- その犯罪にどんな刑罰が科されるか
199条の形をそのまま言葉にしただけである。逆にいえば、法律のタイトルは判定に関係しない。この2つの中身を持っていれば、実質的な意味での刑法にあたる。
▸ 1条は「どこで」の話 — 刑法1条は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する、と定める。「いつから・いつまで」を含めた適用範囲は別の回で扱う。
→ 時間的・場所的適用範囲は #1-4 刑法の適用範囲(準備中)
タイトルが「刑法」でなくても中身は刑法――特別刑法
図:形式(タイトル)と実質(中身)は一致しないことがある
◆ 2つの意義
| 何で決まるか | 具体例 | |
|---|---|---|
| 形式的意義の刑法 | 法律のタイトルが「刑法」か | 刑法典のみ |
| 実質的意義の刑法 | ①何が犯罪か②どんな刑罰か、を定めているか | 刑法典、軽犯罪法、道路交通法… |
◆ 特別刑法 — タイトルは「刑法」でないが、中身が実質的意義の刑法にあたる法律。軽犯罪法や道路交通法がこれにあたる。
▸ なぜこの区別が効くのか — 「刑法」という科目の射程が、六法の刑法典だけでは終わらないから。特別刑法もすべて射程に入る。定義の暗記ではなく、射程を確定する道具として持っておく。
「何が犯罪か」と「どう裁くか」は別の法律

◇ 詰まる所 — 「刑法と刑事訴訟法は何が違うんですか」と聞かれると答えに詰まる。
◆ 役割分担
| 決めること | 法律 | |
|---|---|---|
| 実体法 | 何が犯罪で、どんな刑罰が科されるか | 刑法 |
| 手続法 | どう捜査し、どう裁くか | 刑事訴訟法 |
▸ なぜ分かれているのか — 刑法だけでは事件は1件も裁けない。「Aは殺人だ」と分かっても、誰がどうやってそれを認定し、どんな手続で刑を宣告するかが決まっていなければ動かない。同じ分担は民法と民事訴訟法にもある。
→ 手続の側は別シリーズ「ゼロから刑訴」で扱う
自然犯と法定犯

実質的意義の刑法が定める”中身”にも、性質の違う2種類がある。
◆ 定義
| 定義 | 具体例 | |
|---|---|---|
| 自然犯 | 法律がなくても、道徳的に悪いとされる行為 | 殺人(199条)、詐欺 |
| 法定犯 | 行為自体は道徳的に無色(に近い)が、制度が定めたことで初めて悪くなる行為 | 路上喫煙禁止条例違反 |
▸ 具体例で確かめる
- 自然犯(詐欺) — 人をだまして財物を得る。「法律で禁じられているから悪い」のではなく、「人をだますのは悪い」という感覚が法律より先にある。
- 法定犯(路上喫煙) — 条例のない街で歩きタバコをしても、それだけで強く道徳的に非難されるわけではない。だがその自治体で条例が定められた瞬間、「してはいけないこと」になる。制度が先にあって、初めて悪くなる。
区別の境界は動く――相対性

◆ 命題 — 自然犯と法定犯の区別は固定ではなく相対的である。社会の受け止めが変われば、境界線は動く。
▸ 具体例 — 喫煙は、かつて個人の自由やマナーの問題として行政的にゆるく扱われていた。受動喫煙による健康被害という実害の認識が社会に広がるにつれて、周囲への配慮を欠く行為として道徳的な非難の対象になってきている。
◆ 覚えるべきはどちらか
- ✗ 個々の行為が自然犯か法定犯かの分類そのもの
- ✓ 「区別は動きうる」という命題
▸ 論文でどう使うか — ある行為が「制度的な規制にとどまるのか、道徳的な非難にまで踏み込んでいるのか」を論じる場面で、理由づけの土台になる。分類を暗記しても答案には書けないが、この命題は書ける。
区別の実益①――38条3項
条文刑法38条3項(故意)
法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
◆ 条文の読み方
- 本文=原則:「法律を知らなかった」は、故意を否定しない
- ただし書=例外の入口:その人の事情しだいで刑を減軽できる
◆ どこが実益か
| 「知らなかった」が起きるか | |
|---|---|
| 自然犯(殺人・詐欺) | まず起きない。法律を見なくても悪いと分かる行為だから |
| 法定犯(条例違反) | 起きやすい。制度を知らなければ、悪いと気づきようがない |
▸ 具体例 — 路上喫煙を禁止している街に引っ越してきたばかりの人は、吸ってから初めて「ここは禁止だったのか」と知ることになる。自然犯ではこの場面が想定しにくい。
⚠ 押さえるのは「知らずにやってしまう場面の起きやすさが違う」というところまで。どこまで例外が認められるか(違法性の意識の要否)は先の回の本論。
→ #7-3 責任故意①――違法性の意識の要否と法律の錯誤(準備中)
区別の実益②――行政刑法

◆ 行政刑法 — 行政上の目的を実現するために、行政的な必要から作られた刑罰規定のまとまり。法定犯はこの形で作られることが多い。
▸ 具体例 — 先の路上喫煙禁止条例も、「まちを清潔・快適に保ちたい」という行政目的から作られている。
◆ 分け方の軸が違う
| 何を基準に分けているか | |
|---|---|
| 特別刑法 | 名前(法律のタイトルが「刑法」でない) |
| 行政刑法 | 何のために作られたか(行政目的の実現) |
▸ 使いどころ — 目にした罰則が行政刑法だと分かれば、それは法定犯寄り=38条3項の「知らなかった」が起きやすい領域だ、という見当がつく。名前だけ知っておけば足りる。
刑法の機能①――法益保護機能

ここからは「なぜ国家はこの中身(犯罪と刑罰の組)を作るのか」=機能の話に入る。機能は2つあり、向きが逆である。
◆ 法益 — 法によって保護される利益。生命・身体・自由・名誉・財産などが代表例。
◆ 法益保護機能 — 刑法は、①刑罰による威嚇と②実際に犯した者への制裁、その両方を通じて法益を保護する。「人を殺した者は重い刑罰に処する」と定めることで、人の生命という法益を守っている。
▸ 保護法益 ≒ 趣旨(この先いちばん使う道具) — ある条文が守ろうとしている利益を保護法益という。同じ「法益」を、条文の側から見た言い方である。そして保護法益は、その条文の趣旨とほぼ重なる。この見方は、各論で個々の犯罪を扱う回で、毎回の出発点になる。
刑法の機能②――自由保障機能

◆ 自由保障機能 — 刑法は「これをしたら犯罪だ」と、犯罪になる行為をあらかじめ明示している。裏を返せば、「そこに書かれていない行為は自由だ」という保障にもなっている。
▸ なぜ保障になるのか — もし刑法がなければ、国家はどんな行為でも、後から「それは悪いことだった」と言って処罰できてしまう。何が犯罪かを事前に条文で示すことで、国民は残りの行動を安心してとれる。国家権力を縛る側の機能である。
⚠ 法益保護機能が「国民を守る」向きなのに対し、自由保障機能は「国家を縛る」向きである。同じ刑法が、逆向きの2つの仕事をしている。
2つの機能の綱引き――このシリーズ全体の読み筋
図:法益保護は輪を広げ、自由保障は輪を絞る
◆ 「犯罪の輪」 — 「犯罪にあたる行為」の集まりを1つの輪と考える。
| 働かせる機能 | 輪の動き | 得るもの | 失うもの |
|---|---|---|---|
| 法益保護機能 | 広がる | 悪質な行為を取りこぼさない | 際どいだけの行為まで巻き込む |
| 自由保障機能 | 絞られる | 無実の人・軽微な行為を守れる | 本来罰すべき行為を見逃す |
▸ 具体例で線を引いてみる(詐欺)
- はっきり嘘をついて相手に金を出させた → 誰が見ても輪の中
- 店で「これは良い品ですよ」と少し大げさに褒めて売った → 輪を広げれば巻き込まれかねないが、絞ればただのセールストークとして輪の外
どこに線を引くかは、綱引きの結果しだいで動く。
◆ 両機能の調整 — 広げすぎれば無実の人まで処罰される社会になり、絞りすぎれば悪質な行為が野放しになる。どちらに振り切っても困る。だから両方の力を働かせたまま決着点を探り続けるしかない。これを両機能の調整という。

▸ この先の読み筋 — 総論で学ぶ犯罪成立の共通ルールも、各論で学ぶ個別の犯罪類型も、そこでの解釈の対立は根っこをたどれば輪を広げたい主張と絞りたい主張のぶつかり合いである。この先の論点は全部、この綱引きのどこかの具体例だと思って読んでよい。
→ 輪の線引きが実際にどこで問題になるかは #2-1 犯罪の成立要件――3つの関門(準備中)から
刑罰の種類(9条)

◆ 並びだけ押さえる(9条)
- 主刑(5つ)=死刑・拘禁刑・罰金・拘留・科料。それ単独で科せる刑
- 付加刑(1つ)=没収。主刑に付け加えるときだけ科せる刑
⚠ 拘禁刑という名前 — 2025年6月に呼び方が一本化された(〜2025年5月31日は「懲役」「禁錮」)。古い教材を読むときは、この切り替えを思い出すこと。
→ 各刑の中身・死刑存廃は #11-1 刑罰の種類(準備中)
今日の地図(保存版)

- 実質的意義の刑法=①何が犯罪か②どんな刑罰か、を定めた法規。タイトルは関係ない
- 形式的意義の刑法=刑法典。両者がズレたものが特別刑法(軽犯罪法・道路交通法)
- 実体法(刑法=何が犯罪か)と手続法(刑訴法=どう裁くか)は別の法律
- 自然犯(法律以前に悪い)と法定犯(制度が定めて初めて悪い)。この区別は相対的
- 実益=38条3項。法定犯では「知らなかった」場面が起きやすい

- 機能は2つ。法益保護機能(輪を広げる/国民を守る)と自由保障機能(輪を絞る/国家を縛る)
- この2つの綱引きが、これから続く全論点の背骨になる
次は #1-2 なぜ罰するのか。そもそもなぜ国家が人を罰してよいのか——刑罰を正当化する理屈を扱う。
参照条文
- 刑法199条(殺人)
- 刑法38条3項(故意)
- 刑法9条(刑の種類)
- 刑法1条(国内犯)