民法ゼロから民法#18

無効な行為の追認と転換——絶対的無効の例外・一部無効

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第1章 民法総則 ⑱/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の想起——無効はもともと効力ゼロだった

前回の想起

前回は、無効とは何かを、根っこから見ていきました。無効の主張は、新しく何かを起こす行為ではなく、すでに無効だという事実の指摘にすぎない、という話でした。そのとおりです。意思表示の要否、主張の当事者、追認の可否、期間制限——この4つでした。まさにそこです。そして「原則」と言った以上、例外があります。しかもその例外は「有効になる」のとは少し違います。そのうえで、無効な行為の転換、そして絶対的無効の例外を見ていきます。もちろんです。前回と同じように、1つずつ丁寧に見ていきましょう。

追認119条――追認しても、有効になるとは限らない

追認119条とは

「原則」がある以上、例外もあります。119条を見てみましょう。

条文民法119条

民法 第119条(無効な行為の追認) 無効な行為は、追認によっても、その効力を生じない。ただし、当事者がその行為の無効であることを知って追認をしたときは、新たな行為をしたものとみなす

追認しても効力は生じません。無効だと知ったうえで追認したら「新たな行為をした」とみなされます。ここが今日、一番の罠です。「遡って有効になる」という意味ではありません。効力は、追認の時から将来に向けてのみ生じます。過去には遡りません。1月に無効な売買契約を結んだAさんとBさんが、6月になって「無効だと知ったうえで、この契約を続けよう」と決めたとします。6月からです。1月に遡って有効になるわけではありません。119条ただし書は、当事者の「今から有効な関係を作りたい」という意思を尊重する制度にすぎないからです。もとの無効な行為を治すわけではありません。無効だった期間に生じていた法律関係、例えば第三者の権利が巻き戻って混乱します。だから、これからだけ効かせるんです。そのとおりです。過去の期間は無効なままとして扱われ、6月以降だけが有効な契約として動き出します。

119条ただし書と116条――遡るか、遡らないか

119条ただし書 と 116条

無権代理の追認、116条と比べると、この違いがはっきりします。代理権のない人が、勝手に本人の代理人だと名乗って契約を結ぶ場面です。代理権のないCさんが、Aさんの代理人だと名乗って、Bさんと売買契約を結んだとします。追認すれば、Cさんの結んだ契約を、自分の契約として認めることができます。116条では、追認は契約の時に遡ってその効力を生じるとされています。ただし116条にも、第三者の権利を害することはできない、という限定が付いています。無条件に遡るわけではありません。そのとおりです。契約の時点まで遡って、効力が生じます。まず押さえてほしいのは、条文の書き方そのものが違うことです。116条は「契約の時にさかのぼって」と書いてあります。試験でまず問われるのは、この条文上の違いです。一般には、無権代理は「契約自体は存在していて、その効果が本人に帰属していないだけ」と整理されることが多いです。そういう整理です。それに対して無効な行為は、初めから効力が無い、と整理されます。そう説明されることがあります。ただ、無権代理の性質をどう捉えるかには学説の対立があって、決着した話ではありません。まずは条文の帰結——116条は遡り、119条ただし書は遡らない——を正確に。理由づけは、説明の仕方が一つに定まっていないことも含めて知っておいてください。言葉だけで覚えず、それぞれの制度の目的から考えてください。

公序良俗違反は、追認しても救われない

公序良俗違反は救われない

いいえ。公序良俗90条に違反する行為は、このただし書でも救われません。例えば、AさんとBさんが、賭博で負けた側が法外な金額を支払う、という契約を結んだとします。この契約について、AさんとBさんが後から「無効だと分かった上で、この契約を続けよう」と合意したとします。そうはなりません。賭博契約という不当な内容そのものは、当事者が「続けよう」と決めても変わらないからです。まさにそこです。当事者が「もう無効と分かった上でいい」と言っても、追認してもその行為の不当性そのものは消えません。その害悪は、当事者の意思では消せないんです。そのとおりです。公序良俗は私的自治を超えた制約なので、当事者2人の合意では乗り越えられず、ただし書の射程には入りません。

無効行為の転換――別の行為として、生き返ることがある

無効行為の転換

次は、無効な行為のもう1つの生かし方、転換です。した行為としては無効でも、別の行為の要件を満たしていれば、別の行為として有効になる、というものです。秘密証書遺言として作った遺言書が、方式の不備で無効だったとします。遺言の中身を秘密にしたまま作る方式です。詳しくは遺言の回で扱います。もし自筆証書遺言の要件——全文と日付、氏名を自分で書くという要件——を満たしていれば、自筆証書遺言として有効になります。971条にそう定められています。その場合は、転換もできず、遺言そのものが無効のままです。そのとおりです。何でも転換できるわけではありません。父親が、結婚していない相手との間の子どもを、嫡出子として届け出た場合です。結婚している夫婦の間に生まれた子どもです。中身は親子関係の回で扱います。嫡出子の届出としては無効でも、古い裁判例と、その後の判例の両方で認知の効力は生じる、とされています。自分の子だと法律上認める行為です。こちらも親子関係の回で扱います。認知としての要件自体は満たしていることが前提です。その要件を満たしていて初めて、認知の効力が認められます。他人の子どもを自分の実の子だと偽って、出生届を出した場合です。出生届としてはもちろん無効ですが、養子縁組としても無効のままです。はい、古い裁判例と、その後の判例の両方がそう判断しています。判例が重く見ている点が2つあります。1つ目は、転換したい行為の意思表示が、その無効な行為の中に含まれているといえるか、です。そこが大事です。嫡出子として届け出た事案について、古い判例は、その届出の中に自分の子であると認める意思表示が含まれている、という言い方をしています。秘密証書遺言も同じで、自筆証書遺言としての要件を実際に満たしていました。「入っていた」から転換できるんです。「実子として届け出る」という意思の中に、養子縁組をするという意思まで含まれているとは言えません。転換を認めることで、転換先の規定の趣旨——とくに、その行為に決められた形式を踏ませる趣旨を、骨抜きにしてしまわないか、です。あります。判例が養子縁組への転換を認めない一番の理由は、まさにその形式を潜り抜けることになるからだ、とされています。そこも指摘されています。ただ、最初に来るのは形式の趣旨です。「実子として育てているのだから問題ない」という理由では、判例と逆の答えになってしまうので注意してください。この2点で必ず割り切れる、というものではありませんが、判例はこの2点を重く見ている、と押さえてください。いいでしょう。1つずつ当てはめてみましょう。自筆証書遺言としての要件を実際に満たしていました。つまり、自筆証書遺言が中に入っていたわけです。方式を守った遺言がそこにある、というだけですから。だから転換は○です。届出の中に、自分の子であると認める意思表示が含まれていると言えます。認知として必要なものは、そこに揃っていました。「実子として届け出る」という意思の中に、養子縁組をするという意思は含まれていません。1つ目で止まります。養子縁組に決められた形式を潜り抜けることになります。ここが、判例が認めない一番の理由です。だから×です。個別に暗記するのではなく、この2点を当てて考えるようにしてください。その場合は転換が認められにくくなります。判例が形式の趣旨を重く見ている、というのはそういう意味です。

論文で問われるとしたら

出ます。特に、届出や遺言のように形式が決まっている行為で、形式を外れたものをどこまで救うか、という形で問われます。まさにそこです。今日見た2つの視点は、その綱引きをどう決着させるかの道具になります。いいえ、答案の型は専用の論文動画で扱います。

絶対的無効の例外・一部無効――原則にも、境界がある

絶対的無効の例外・一部無効

無効は原則、誰でも、誰に対しても主張できます。もともと誰の権利にもなっていない事実だから、誰が指摘してもいい。はい、これを絶対効と呼びます。ただ、この原則にも例外があります。2種類あります。1つ目は、主張の相手方が制限される場合です。心裡留保の93条2項と、通謀虚偽表示の94条2項——善意の第三者には対抗できない、という話でしたね。AB間の通謀虚偽表示による売買を、事情を知らないCさんがBさんから買い受けた、という場面でしたね。そのとおりです。「対抗できない」というのは、無効そのものが無くなるのではなく、その人との関係でだけ持ち出せない、という意味でした。誰に対しても対抗できるはずの無効が、善意の第三者Cさんとの関係でだけ、制限されるということです。2つ目は、主張権者が制限される場合です。意思無能力による無効は、意思無能力者側からしか主張できません。そのとおりです。あのとき覚えた性質を、絶対効の例外として位置づけ直すと、こうなります。3条の2の話です。意思無能力無効は、意思無能力者を保護するための制度だからです。保護の必要がない相手方に主張を許すと、制度の趣旨に反するんです。認められません。Bさんは保護されるべき側ではないからです。そのとおりです。無効の原則、つまり絶対効は「効力ゼロという事実」そのものから来ますが、例外は違うところから来ています。そのとおりです。この発生源の違いを意識しておくと、他の「絶対効の例外」に出会っても、同じように考えられます。法律行為の内容の一部にだけ、無効原因がある場合の話です。まず、明文があればそれに従います。例えば利息制限法です。上限は、借りた元本の額で三段階に分かれています。元本が10万円未満なら年2割、10万円以上100万円未満なら年1割8分、100万円以上なら年1割5分です。では、5万円を借りて年20パーセントの利息を約束した場合を考えてみましょう。ちょうど上限どおりなので、この約束は全部有効です。上限の年2割を超える部分だけが無効になります。そのとおりです。5万円を借りたという契約自体は有効なまま、利息の超過部分だけが無効になります。その規定の趣旨から判断します。法秩序に反しない限り一部無効にとどめるのが原則です。なぜ一部にとどめるのが原則かというと、当事者が結ぼうとした契約は、できる範囲で生かすべきだからです。そのとおりです。自分のことは自分で決める——私的自治といいます。法が口を出すのは、必要な範囲にとどめる、という発想です。さっきの転換と同じ発想で、無効だからといって必要以上に壊さない、ということです。内容が分けられない、切り離せない性質のものは、一部だけを取り出せないので、全部無効になります。契約の中心そのものに無効原因があるときです。例えば、Aさんが自分の土地をBさんに売る契約で、代金の決め方が公序良俗に反していたとします。そうすると「土地を渡す」という約束だけが残ります。まさにそこです。Aさんは代金をもらうために売るのであって、タダで渡す気はありません。無効な部分を取り除くと、当事者が結ぼうとした契約の中身がもう残らない——こういう場合は、一部だけ切り出しても意味がないので全部無効になります。利息の上限を超えた部分は、そこだけ削っても「お金を貸して返してもらう」という契約は残ります。残るなら生かす、残らないなら全部倒れる、という違いです。どちらも「無効はどこまで及ぶか」の限界の話です。絶対効の例外は、無効を主張できる人と相手という「誰に」の限界。一部無効は、契約のどこまでが無効になるかという「どこまで」の限界です。無効はゼロか100かに見えて、この2方向で細かく調整されています。

今日の地図(保存版)

まとめ(後編)

では、後編のポイントをまとめます。119条ただし書は、追認の時から将来に向けてだけ効き、遡りません。条文が「契約の時にさかのぼって」と書いているのが116条、「新たな行為をしたものとみなす」が119条ただし書でした。追認しても、行為の不当性そのものは消えないからでしたね。そのとおりです。絶対的無効にも、相手方の制限、主張権者の制限という例外があり、一部無効という考え方もありました。

自己テスト(後編)

声には出さず、自分の力で思い出してみてください……。では、答え合わせです。119条ただし書は遡らず、116条は遡ります。条文の書き方そのものが違う、というのがまず押さえるところ。理由づけは、説明の仕方が一つに定まっていませんでしたね。こちらも、声には出さず考えてみてください……。では、答え合わせです。転換先の意思表示がその中に含まれているか。そして、転換先の形式の趣旨を骨抜きにしないか。この2点でした。誰が取り消せるか、120条から見ていきます。そのとおりです。

参照条文

  • 民法119条

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