不真正不作為犯(不作為による殺人)の書き方
夏祭りの夜の公民館で、酔いつぶれたVを「朝まで見ておく」と引き取った実行委員長の甲が、午前0時過ぎに容態が急変したVを前に119番を押しかけてやめ、放置して死なせた事例で、甲の罪責を答案に書き切る回。法的作為義務(保護の引受けと排他的依存)、作為の可能性・容易性、不作為と死亡との因果関係、殺意の認定の順に事実を当て、事実を1か所変えると結論が動く2場面と完成答案まで扱う。
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事例
図:公民館での経過
午前0時過ぎです。町外れの公民館の和室で、Vの唇は、紫色になっています。隣の座敷にいる甲は、自分のスマートフォンを手に取り、119番を押しかけて、指を止めました。この場面に至るまでを、順に見ます。舞台は、夏祭りの夜の公民館です。祭りの本部にしていた建物で、町外れにあり、夜間は無人です。固定電話はありません。最寄りの民家までは約300メートルあり、次に人が来るのは、翌朝の撤収のときです。登場するのは、夏祭り実行委員会の委員長の甲、60代です。実行委員のVは40代で、次期委員長に推されています。ほかに、実行委員が何人かいます。
夜9時半ごろ、片づけを終えた打ち上げの席で、Vは、自分で酒を飲みすぎて立てなくなり、嘔吐しました。呼びかけへの反応も鈍いです。甲は、飲んでいません。Vのスマートフォンは、電池が切れています。夜10時ごろ、委員の一人が、「Vさん、だいぶ参っていますね。誰か残りましょうか」と言いました。甲は、「飲みすぎだ。わしが奥の和室で朝まで見ておく。みんな帰っていい」と答えます。委員らは、委員長に任せて、全員帰宅しました。甲は、Vを奥の和室に運んで寝かせます。この時点の甲は、飲みすぎて潰れただけだと考えていて、Vが死ぬとは思っていません。
ところが、午前0時過ぎ、Vの呼吸は浅くなり、唇は紫色で、呼びかけにも反応しません。甲は、酔いつぶれた知人が吐いたもので窒息しかけた場に居合わせたことがあり、命に関わる状態だと分かります。甲は119番を押しかけて、やめました。Vは次期委員長に推され、甲のやり方を改めると公言していました。甲は、「このまま朝まで置けばよい」と考えます。甲は、隣の座敷で朝まで過ごし、午前1時ごろと2時半ごろに、和室をのぞきました。けれども、呼びかけも、体勢を変えることも、119番も、しませんでした。午前3時ごろ、Vは、吐いたものを誤嚥して窒息死します。翌朝6時ごろ、撤収に来た委員が、Vの死亡を発見しました。
図:他の委員らと甲とVの関係
関係を、図で整理します。他の委員らは、Vの容態を甲に託して帰宅しました。甲は、Vを寝かせて、朝まで見ると引き受けています。鑑定では、午前0時過ぎに救急要請をしていれば、救急隊は約15分で到着でき、十中八九、救命できたとされています。甲は、「寝ているだけだと思った」と弁解しています。甲は、Vに手を下していません。問いは、これだけです。甲の罪責を論じなさい。
罪名と条文の特定
答案は、甲が何をしたかから書き出します。論じる対象は、甲が午前0時過ぎ以降、救急要請をしなかった行為です。Vは亡くなりました。人を死なせたのですから、まず、殺人罪の構成要件を考えます。条文を見ます。
条文刑法199条
刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。
「人」はVです。死亡の結果も、現に生じています。この2つは、争いがありません。殺すつもりがあったかどうかは、罪名を分けます。死なせる認識があれば殺人罪を考え、なければ別の罪を考えることになります。甲は、命に関わる状態だと分かったうえで、119番を押しかけて、やめています。死なせる認識があったと言える事情がありますから、まず殺人罪で検討します。殺意があったかどうかは、最後に事実から確かめます。
問題提起と、検討の順
図:殺人罪の検討の順
甲がしたことを、もう一度見ます。救急要請をしなかった、ただそれだけです。Vを殴ってもいませんし、首を絞めてもいません。条文の「殺した」という言葉は、ふつう、手を下して死なせることを思わせます。何もしなかったことが、これにあたるのか。ここが、この事例の問題提起です。作為の形で書かれた罪を、何もしないことで実現する犯罪を、不真正不作為犯といいます。手を下していなくても、殺人罪が成り立つことはあります。ただ、無条件ではありません。そこで、検討の順を決めます。人と死亡の結果は、争いがありません。次に、実行行為です。甲の不作為が実行行為にあたるかを、規範を立てて判断します。そのあと、不作為と死亡との因果関係、最後に故意、つまり殺意です。厚く書くのは、解釈が要る3か所です。実行行為性、因果関係、殺意。この3つを、順に通る関所と見て、進みます。
実行行為性の規範
図:規範カード|不真正不作為犯の実行行為性
実行行為性の規範です。条文には、不作為をどう扱うかが書かれていません。そこで、通説が基準を立てます。
⭐ 論文で書く規範:不真正不作為犯の実行行為性 実行行為とは構成要件的結果発生の現実的危険性を有する行為をいう。そして、不作為によってもかかる危険性を実現することは可能であるから、不作為も実行行為にあたりうる。 もっとも、自由保障の観点から処罰範囲を限定する必要がある。 そこで、作為との構成要件的同価値性が認められる場合、すなわち、① 法的作為義務の存在、② 作為の可能性・容易性が認められる場合に、不作為の実行行為性を肯定できると解する。 そして、法的作為義務の存在は、法令・契約・先行行為に加えて、法益の維持存続が不作為の行為者に具体的かつ排他的に依存していた場合に認められる。 (規範(通説で立てる))
最初の文は、「実行行為とは構成要件的結果発生の現実的危険性を有する行為をいう」です。殺人罪でいえば、人が死ぬ現実の危険をもつ行為、ということです。不作為犯の回では、法益侵害の現実的危険性を有する行為、と言いました。指しているものは同じです。手を動かさなくても、救うべきときに救わなければ、人は死に近づきます。ですから、「不作為によってもかかる危険性を実現することは可能であるから、不作為も実行行為にあたりうる」とされます。そこで、次の文が働きます。「もっとも、自由保障の観点から処罰範囲を限定する必要がある」。何もしなかった人を広く処罰すれば、人の行動の自由が、狭くなりすぎるからです。絞りの名前が、作為との構成要件的同価値性です。作為で殺したのと同じ重みがある、ということです。その中身が、2つあります。1つは、法的作為義務の存在。もう1つは、作為の可能性・容易性です。義務のない人が何もしなくても、死なせたとは言えません。救うことができない人や、命がけでなければ救えない人に、救えと求めることもできません。救う義務があり、しかも容易に救えたのに、救わなかった。そこまで揃って初めて、手を下したのと同じ重みになります。最後の文は、義務の見つけ方です。「法的作為義務の存在は、法令・契約・先行行為に加えて、法益の維持存続が不作為の行為者に具体的かつ排他的に依存していた場合に認められる」。読み方は、2段です。まず、義務が生まれる原因があるか。法令、契約、それに先行行為、つまり自分の行為で危険を作ったこと、のどれかです。そのうえで、状況を見ます。法益とは、法が守る利益で、ここでは、Vの生命です。その生命を救えるかが、行為者に具体的に、しかもその人にしか頼れない形で、かかっていたか。原因があり、さらにこの状況もあるときに、義務が認められます。ほかに助けられる人がいるなら、放置しても、手を下したのと同じ重みとは言えないからです。
法的作為義務——本番
ここからが、答案の山場です。まず、法的作為義務です。「実行委員長なのだから、助けるべきだ」では、答案になりません。義務は、地位ではなく、事実から根拠を拾って決めます。判例が、事実のどこから義務を認めたかを、先に確かめます。不作為犯の回で読んだ、独自の治療を理由に、必要な医療を受けさせなかった事件の決定です。
判例最決平17・7・4 刑集59巻6号403頁
不作為による殺人を認めた決定 ……被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる。その際、……直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものというべきである。それにもかかわらず、未必的な殺意をもって、上記医療措置を受けさせないまま放置して患者を死亡させた被告人には、不作為による殺人罪が成立し、……と解するのが相当である。
読むのは、2か所です。1つ目は、「自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた」というくだりで、自分で危険を作ったという事情です。規範の言葉でいえば、先行行為に近い事情で、原因の側です。2つ目は、「手当てを全面的にゆだねられた立場」です。親族が、患者の手当てを、被告人に全面的に任せていた立場のことです。規範の言葉でいえば、排他的依存に近い事情で、状況の側です。この2つを中心とする事実から、直ちに医療措置を受けさせる義務を「負っていた」と結論しています。注意したいのは、この決定が、「作為義務」や「同価値性」という言葉を使っていないことです。事実から、義務を負っていたと結論しています。ですから、規範の言葉は、判例のものではなく、通説の言葉です。判例は、事実のどこを拾うか、の例として使います。この視点で、甲の事実を見ます。
図:法的作為義務:原因と状況の観点
まず、原因です。法令、契約・事務管理、先行行為。この事例の事実を当てると、どの原因があるでしょうか。そのうえで、具体的かつ排他的な依存という状況は、あるでしょうか?
図:法的作為義務:原因と状況に事実を当てる
順に、評価します。まず法令です。甲は実行委員長ですが、その地位は、Vの救護を命じる法令でも、契約でもありません。「委員長だから」という理由は、法的な義務の根拠にならないのです。ですから、法令という原因は、ありません。次に、先行行為です。Vが酔いつぶれたのは、Vが自分で飲んだからで、甲は、危険を作っていません。先行行為も、ありません。残る原因は、契約の並びです。甲は、Vの様子を気づかった委員に、「わしが奥の和室で朝まで見ておく。みんな帰っていい」と言いました。委員らは、委員長に任せて、全員帰宅しました。そのうえで、甲は、Vを和室に運んで寝かせています。他人の保護を、自分から引き受けたということです。義務がないのに、他人のために世話を始めることを、事務管理といいます。甲と委員らは、契約書を交わしてはいません。けれども、甲の引受けは、この事務管理に近く、規範の並びでいえば、契約や事務管理と同じ側の原因です。約束して引き受けた人と同じで、始めた以上は、途中で投げ出せないからです。
引き受けたこと自体が、他の人の手を止めています。委員らは、甲が見ているから大丈夫だと考えて、帰宅しました。甲が引き受けなければ、誰かが残ったはずです。ですから、引き受けたうえで放り出すことは、許されません。これで、原因が1つありました。次は、状況です。Vの生命が、甲にだけかかっていたかを、事実で確かめます。
図:排他的依存:他の救いの道を閉じる事実
Vを助けられたはずの道を、1つずつ閉じていきます。まず、他の委員です。全員帰宅しています。次に、V本人です。スマートフォンは電池切れで、立てず、反応も鈍いので、自分で助けを呼べません。固定電話は、公民館にありません。近所の人を呼ぶにも、最寄りの民家まで約300メートルあり、夜の公民館は無人です。朝までに来る人もいません。次に人が来るのは、翌朝の撤収のときです。そして、Vの容態を知っているのは、甲だけです。たとえるなら、出口が1つだけの部屋で、その鍵を持っているのが甲だけ、という状況です。ほかの人には、手が出せません。これが、排他的依存です。しかもこの状況は、甲が「見ておく、帰っていい」と言って、自分で作ったものです。甲が作ったのは、酔いという危険そのものではありません。ほかの人が助けられない状況のほうです。Vの生命は、甲に具体的かつ排他的に依存していました。
帰った委員らに、作為義務はありません。委員らは、見ておくと引き受けていませんし、甲に任せて帰っています。Vの生命が、委員らに頼りきりになる状況もありません。何もしなかった人がみんな殺人犯になるわけではない、という絞りは、こうして働きます。甲に戻ります。引受けという原因があり、そのうえで、Vの生命が甲に具体的かつ排他的に依存する状況もありました。以上から、甲には、法的作為義務が認められます。
作為の可能性・容易性と、実行行為の特定
図:119番を押す負担
義務が揃っても、まだ終わりません。作為の可能性・容易性は、義務とは別の事実で、当てます。甲の手元には、自分のスマートフォンがありました。119番を1回押して、公民館の住所を告げれば足ります。救急隊は、約15分で到着できました。しかも、119番を押すことで、甲に危険が及ぶわけでも、重い負担がかかるわけでもありません。作為は可能で、きわめて容易でした。大事なのは、2つを別々に数えて終わりにしないことです。ほかに救える人がいない中で義務を負い、しかも119番1本で救えた。合わせて見て、甲の放置は、手を下して死なせたのと同じ重みだと言えます。ですから、作為との構成要件的同価値性が認められ、実行行為にあたります。
図:実行行為として捉える時点
ここで、どの時点からの放置を、実行行為と捉えるかを、特定しておきます。実行行為と捉えるのは、Vの容態が重篤になって、救急要請が必要になった、午前0時過ぎ以降の放置です。夜10時ごろに、甲が引き取ったことは、義務の理由として使いました。その時点のVは、酔いつぶれた段階です。死の危険は、まだ切迫していません。ですから、夜10時ごろに引き取ったことも、午前0時前の様子も、実行行為とは捉えません。そして、午前0時過ぎになって、死の危険が現に生じます。ここからの放置が、実行行為です。
不作為と死亡との因果関係
図:殺人罪の検討の順
2つ目の関所は、不作為と死亡との因果関係、つまり、甲の放置が原因でVが死んだと言えるか、です。入る前に、前に確認したことを思い出してください。不作為の因果関係は、「あれあればこれなし」で見るのでした。作為の因果関係と比べて、何が難しいのでしたか?作為なら、した行為と結果のつながりを見ればいいのですが、不作為は、しなかった行為をしていたらどうなったかを確かめなければなりません。無かった行為の効果を確かめるので、立証が難しい、でした。期待された作為、この事例では119番ですが、それをしていたら、結果は発生しなかったか。これが、「あれあればこれなし」の中身です。その確かさを、どの物差しで測るかを、判例で確認します。取り上げるのは、殺人の事案ではありません。覚せい剤を注射した相手を、救急要請せずに放置した事案で、保護責任者遺棄致死罪、つまり、保護する責任のある者が放置して死なせた罪の、因果関係が争われました。罪名は違っても、しなかった行為と死亡とのつながりを問う点は、同じです。ですから、物差しを借りられます。
図:不作為の因果関係の判旨
判旨の物差しは、「救命は合理的な疑いを超える程度に確実であった」です。救えなかったかもしれないという疑いが、常識的に見て残らない程度、ということです。救命がそこまで確かであれば、放置と死亡との間に因果関係が認められます。
図:事実と物差し
甲の事例に当てます。鑑定は、午前0時過ぎに救急要請をしていれば、十中八九救命できた、というものです。「十中八九」は、この事例の事実の側の言葉で、物差しは、合理的な疑いを超える程度に確実、のほうです。2つを混ぜずに、事実を物差しに当てます。百パーセントは、求められていません。しなかった行為の結果は、誰にも百パーセントとは言い切れないからです。求められるのは、先ほどの、疑いが常識的に見て残らない程度です。先ほどの決定の事案でも、直ちに救急医療を要請していれば十中八九救命が可能だった、と認定されていました。最高裁は、そこから、救命は確実だったと認めています。甲の事例の鑑定も、同じ十中八九ですから、物差しを満たします。救えたはずだ、というだけでは、まだ足りません。その死が、放置の危険がそのまま現実になったものかも、確かめます。Vの死因は、吐いたものの誤嚥による窒息です。放置された経過そのものから生じた死で、途中に別の事情が割り込んでもいません。因果の流れに、争いはありません。ですから、甲の不作為とVの死亡との間に、因果関係が認められます。
殺意の認定
図:公民館での経過
最後の関所が、故意です。条文を見ます。
条文刑法38条1項
刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
図:故意と殺意の意味
罪を犯す意思がない行為は罰しない、とあります。この「罪を犯す意思」が、故意です。故意とは、犯罪事実の認識に加えて、結果を仕方ないと受け入れる、認容があることです。殺人罪の故意、つまり殺意は、人が死ぬことの認識と、それでもかまわないと受け入れることです。結果が起きるかどうかが不確かなままでも、起きるかもしれないと分かって受け入れていれば、足ります。これを、未必の故意といいます。さきほどの決定にも、「未必的な殺意」とありました。殺意があれば殺人罪、なければ、別の罪の検討に移ります。ところで、甲は、「寝ているだけだと思った」と言っています。本人の弁解だけでは、殺意の有無は決まりません。客観的な事実から、認定します。
図:殺意を示す事実:拾う観点
殺意を確かめるのは、実行行為の時点、つまり午前0時を過ぎてからの甲です。夜10時ごろの甲は、Vが死ぬとは思っていませんでした。では、その午前0時過ぎの甲の事実から、死ぬと分かっていたことを示す事実と、それでもかまわないと受け入れたことを示す事実を、1つずつ拾うと、何になるでしょうか?
図:殺意を示す事実を当てる
まず、認識です。呼吸が浅く、唇は紫色で、呼びかけに反応しない。この様子は、酔って眠っている人のものとは違います。しかも甲は、吐いたもので窒息しかけた場に居合わせた経験があり、その危険を知っていました。容態の重さと、窒息の危険を知っていたことから、甲は、Vが死ぬかもしれないと分かっていた、と評価できます。次に、認容です。甲は、119番を押しかけて、やめました。連絡する手段を取りかけながら、自分で止めたということです。その指を止めて、「このまま朝まで置けばよい」と考えたのは、死んでもかまわない、と受け入れた表れです。動機の面でも、Vは次期委員長に推され、甲のやり方を改めると公言していました。甲には、Vが助からなくてもよいと考える理由があった、ということです。さらに、甲は、「見ておく」と言いながら、午前1時ごろと2時半ごろに、のぞいただけでした。容態を2回確かめても何もしなかったのですから、一時の迷いではなく、放置を朝まで続ける考えだった、と評価できます。弁解の「寝ているだけだと思った」は、どうでしょうか。唇が紫で反応しない状態、窒息の経験、119番を押しかけた事実と、相容れません。採用できません。ですから、甲には、Vが死ぬことの認識と認容があり、未必的なものも含めて、殺意が認められます。
結論
図:3つの関所と結論
3つの関所が、すべて通りました。実行行為性は、法的作為義務と、作為の可能性・容易性が認められて、肯定されます。因果関係も、殺意も、認められます。ですから、甲には、不作為による殺人罪、刑法199条が成立します。
事実を1か所変える——結論が動く2場面
図:鑑定を変えたら
結論が動く場面を、2つ見ます。事実を、1か所だけ変えます。1つ目は、鑑定です。午前0時過ぎに救急要請をしても、救命できたかは五分五分だった、とします。ほかは、元のままです。実行行為性も、変わりません。作為義務は、引受けと排他的依存で認められたままです。119番は押せましたし、きわめて容易でした。重篤なVを放置した点も、同じです。変わるのは、因果関係です。救命できたかが五分五分では、救命が合理的な疑いを超える程度に確実とは、いえません。救えなかったかもしれないという疑いが、半分も残るからです。ですから、不作為と死亡との因果関係は否定されます。Vの死亡という結果は、甲の不作為に帰せられません。
既遂にはなりません。不作為が死亡の原因だと、確実には言えないからです。では、何も成立しないのかというと、違います。犯罪の実行に着手したのに、既遂にならなかった場合が、未遂です。実行の着手は、結果発生の現実的危険性を含む行為を始めた時点で認められるのでした。甲は、死の危険が迫ったVを、殺意をもって放置しています。この放置が実行行為でしたから、着手があります。欠けたのは、死亡とのつながりだけです。その結果、殺人未遂になります。条文を見ます。
条文刑法203条
刑法203条(未遂罪) 第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。
未遂は罰する、とあります。結果は起きましたが、既遂にならなかった、という扱いです。結論は、殺人未遂、203条と199条です。
図:いびきで眠って見えたら
2つ目は、午前0時過ぎのVの見え方です。Vは、大きないびきをかいて、眠っているように見えます。呼びかけると、寝返りを打ちます。甲は、「ただ寝ているだけだ。朝には覚める」と思い、119番を押しかけることもなく、朝まで2回のぞいて、同じ様子を確かめました。死亡の原因と鑑定は、元のままです。この場面でも、判断の枠組みは変わりません。実行行為性も、因果関係も、変わりません。甲に作為義務があり、119番は容易で、救命も十中八九でした。変わるのは、殺意です。殺意は、人が死ぬことの認識と認容でした。この場面の甲には、Vが死ぬかもしれないと分かる事情がありません。眠っているようにしか見えず、死の危険の認識がないのです。認識がなければ、認容もありません。ですから、殺意は否定されます。その結果、殺人罪は成立しません。この場合は、殺意のいらない罪、たとえば保護責任者遺棄致死罪が成立しないかの検討に移ることになります。
完成答案
図:完成答案:第1の1と2の(1) 問題の所在、規範
こちらが完成答案です。1枚目は、問題の所在と、規範です。動画を止めて、見てみてください。
図:完成答案:2の(2) 法的作為義務
2枚目は、法的作為義務です。こちらも、止めて見てみてください。
図:完成答案:2の(3)(4)と3 作為の可能性・容易性、小括、因果関係
3枚目は、作為の可能性・容易性、実行行為の特定、因果関係です。こちらも、止めて見てみてください。
図:完成答案:4と第2 殺意、結論
4枚目は、殺意と、結論です。こちらも、止めて見てみてください。
参照条文
- 刑法199条
- 刑法38条
- 刑法203条